目の前にある課題に、全力を尽くそう

自分の拙い経験で恐縮ですが、「目の前の課題に全力を尽くそう」ということです。

 

私が大学を卒業して最初に会社に入ったのは、1987年のことでした。時はバブルがこれから始まるというまさに夜明け前の状況で、世の中は光輝いていました。私は、MARCHの一角をそれほどパッとしない成績で卒業しましたが、それでも希望職種の、東証一部上場会社に就職することができました。

 

その会社では、私のことを何か期待をもって迎えてくれた訳ではないと思います。学歴で言えば、慶應、早稲田、旧帝がゾロゾロいましたし、役員になるならM県の出身でないとダメだという風評があった会社でしたから。営業枠での採用で、入社後はノルマに追われながら必死に働いてもらえればそれで良い、という感じでした。

 

その業界では新入社員の最初の仕事は、業界資格を取ることでした。この資格が無いと殆どの仕事が出来ない、そしてそれほど難かしくないという、不動産業でいう宅建みたいなもんです。同期の人達は、こんな試験は合格さえすれば点数なんてどうでもいいという態度でした。私は、もともとそれほど勉強が好きではなかったのですが、何の気まぐれか、ちょっとだけ真面目に勉強しました。真面目に勉強したとはいっても4月入社で試験が6月でしたから、正味2ヶ月くらいやっただけです。

 

それで何がおこったかというと、その試験で成績優秀賞をとってしまったのです。つまり、同期入社の中でナンバーワンになってしまった。続いて、簿記3級の試験があって、それも成績優秀賞になってしまいました。みなさんご存じの通り、簿記3級も難かしい試験ではありません。ただ、同期の中でトップになってしまった。要するに、大して難かしくない試験の準備を全力でやったら、周りの人達がそれほど真面目にとりくんでいなくて、結果が相対的に良かったということです。

 

その後に起きたことが何かといえば、周囲の見る目が変わりました。「オマエがそんなに勉強が好きなら、営業の仕事はしなくてもいいからもっと沢山勉強しろ」と命令されました。営業本部長付みたいな肩書になって、普通の仕事はしない代わりに勉強をした。それで、最低限しなければならないのが、月に一回くらい営業マンの前でのプレゼンテーション。それが面白ければ会社のお客さんの所へ行ってプレゼンテーションする。要するに営業補助ですね。

 

その会社は、会社の方針を社員に強制することを極端に嫌う社風があったので、まったく自由な課題に取り組むことが出来ました。とりたい資格があれば、その勉強を就業時間中にさせてもらえる。英語の勉強がしたいと言えばロンドンの英会話学校に会社の経費で派遣してもらえる。今思いだしても非常に刺激的な日々でした。自分の好きなことを勉強できる。失敗しても否定的な評価がつかない(他に同じことをしている人が社内にいないから比較されないし、具体的な損失も発生しないから)、成功すれば肯定的に評価される。夢のような話です。

 

それもこれもバブルで景気が良かったという背景があればこそですが、同じバブル機に入社した同期と比較してもこれだけ恵まれた経験が出来たのは、やはり「入社して最初に与えられた課題に全力で取り組んだ」から、そして結果としてそこでトップの成績をとったからだと思います。

 

何でこんなつまらない昔話を長々と書いたかというと、今これから大学を卒業して社会に出ようとしている人達が大変な思いをしていることを聞いたからです。就職に失敗したからといって、「社会に必要とされていないから」と悲観して、その生涯において何事も達成しないまま自殺してしまうのは勿体ないです。

 

そんな暇があったら、目の前にある課題に全力をだしてみたらどうでしょうか。どんなつまらない課題でも、学内ナンバーワン、同期ナンバーワンになれば周囲のあなたを見る目はかならずかわってきます。 仮に学内ナンバーワンになれなくても気にすることはありません。あなたの今の成績で社内ナンバーワンになれそうな会社を探して、そこの人事部に履歴書を持って行けばいいんです。

 

「今私を採用してくれれば、私はあなたの会社で○○の成績はトップですよ」と言えばいいんです。もちろん、あなたの勉強した何かと、会社のやりたい何かが合致しないと話になりませんが。もっと良い会社に入りたい? ならば、もっと良い成績をとりましょう。やるべきことは、それだけです。がんばって。

せっかく努力するんだから、実りある可能性の高い努力をしよう

幸田露伴の努力論という本に書いてありました。「幸運に繋がっている線はトゲが沢山ついていて、これを引き寄せようとする人の掌をズタズタに引き裂いて血塗れにする。一方、否運に繋がっている線はスベスベしていて握り心地が良い」(超意訳)。

引っ張るのに必要な力はどちらも大体同じです。折角努力して綱を引くのであれば、幸運につながる、トゲの沢山ついた綱を引っぱる方が良いのではないでしょうか?

色々な物を処分していった結果、手元に残ったのは豊かさだった

どういう豊かさが手に入ったのか?

1.部屋が広くなった

モノが少なくなったのだから、部屋が広くなるのは当然といえば当然なんだけど。広くてスッキリとかたづいた部屋は本当に落ちつきます。

 

2.部屋が綺麗になった

散らかすモノがないから当然なんですが。今まで1時間かかっていた部屋掃除が20分で終わります。手間もあまりからないので、思いたった時にスグ掃除できます。

 

3.時間に余裕ができた

掃除をする時間、モノを整理整頓する時間、探し物をする時間、などなどがかからなくなったので、その分だけ時間に余裕ができます。その時間を使って読書をするも良し、お茶を飲むのも良し、勉強するも良し。自分のやりたい事ができます。

 

4.無駄遣いをしなくなった

身の回りのモノが少なくなると、何が足りないか、何が余っているのかがすぐ解るようになります。そうすると、無駄な買い物をしなくなりますし、そこで浮いたお金で必要な物を必要な時に買うことができます。

優秀な成績をあげる人は、死ぬほど練習してるということ

本日、世田谷区民弓道大会に参加してきました。久しぶりに選手気分で弓を引けて楽しかったです。会場で発見した驚きを二つ。

極めて上位に入賞した男子選手の使っていた弓の末弭(上端)に大量の弦跡がついていたこと。弓を引いて、一回ポンと発射すると、弓の上側の先端(末弭)に、弦がパチンとあたる。これを何回も繰り返すと、その部分に黄色い弦の跡が残る。何回も矢を発射すれば、それだけ沢山の跡がつく。この選手の末弭の弦跡の量は尋常じゃなかったです。いったいどのくらい練習したらああいう風になるのか見当もつきません。


もう一人。極めて上位に入賞した女子選手の袴。最初は紺袴だと思っていたのですが、実は黒袴が色褪せて紺色に見えていたことに気がつきました。解りにくい例えで申し訳ありませんが、荒川サイクリングロードでプロ自転車選手を目指して練習してる、と言っていた自転車乗りのレーパンの風合いと同じような迫力がありました。いったいどのくらい練習したらああいう風になるのか、見当もつきません。

しっかりした結果を残す人は、それなりの準備をしているんだな、と感じました。良い一日でした。

 

不安を放置しないということ

一年前の福島原発事故以来、放射能汚染については漠然とした不安を抱えていました。報道によれば、自分の住んでいる地域はとりたてて問題になっていません。しかし、根拠のない妄想だと宥めてみても、それで不安が解消されはしなかったのです。「考え方を変えてみる」といった心理的なアプローチはうまくいきませんでした。


先週になって、国産で廉価な放射線測定器が発売されたので、購入して家中を測定してみました。そうやって実際に放射線量を測定してみて、初めて自分が感じていた不安は解消しました。不安になるような数字はほとんど出てきません。また、高めの数字が出たモノは捨てて、線量が高いと感じた場所は掃除する、などと具体的な手段を講じることができました。

 

今回の経験から、どんな小さな不安でも、放置しない方が良いということを感じました。そして、不安を解消するのに一番良い方法は、実際にその不安に実体があるのか確かめてみることだと思いました。

人と比較しないということ

特に、自分の持ち物を、人の持ち物と比較するのは不毛なので止めました。あと、自分の持ち物は丁寧に手入れしたり、自分に合うようにカスタマイズすると、この世にひとつしかない、自分専用のモノになります。